へりくつ剣道参考書

剣道家ブロガーのつぶやきです。大人から剣道を始めた自分だからこそ伝えられる内容を書いています。剣道に関するあれこれを、自分なりの解釈を交えながら綴ってまいります。

「打って反省、打たれて感謝」の意味を考える

みなさんこんにちは。

akikotapapaです。

 

「打って反省、打たれて感謝」という言葉をご存じでしょうか。

 

単純な日本語として考えるとちょっと意味が分からないような言葉ですが、剣道の上達を目指すうえでは非常に大切な言葉です。

 

そこで今回は「打って反省、打たれて感謝」という言葉の意味について考えていこうと思います。

 

 

■打って反省とは

まず、前半部分の打って反省という言葉から考えてみましょう。

 

打って反省するというのは、自分が有効打突を決めることができた時、なぜ打てたのか?何が良かったのか?という理由を考えることを指しています。

 

一言で言えば、その場で良かった動きや力加減、タイミング等を思い出すようなイメージです。

 

例えば、良いタイミングで出小手が決まったとします。

 

その出小手は、なぜ打てたのでしょうか?

 

相手の攻めに負けなかったとか、余計な力が入っていなかったとか、捨て身で打てた等色々な要素が良い状態だったのではないでしょうか。

 

この「なぜそれができたのか」というような、ひとつ上流の要素を考把握し意識することで、他の技にも応用がきいてきます。

 

このひとつ上流の要素こそが剣道上達の基盤となります。

 

この基板のレベルを上げることこそ、自分の剣道そのもののレベルアップに直結するのです。

 

 

■打たれて感謝とは

では、次は後半部分の打たれて感謝と言う言葉について考えてみましょう。

 

先ほどとは逆に、相手に有効打突を奪われたとします。

 

その時、なぜ打たれたのか、自分の何が悪かったから打たれてしまったのかを考えることが大事です。

 

相手に打たれるという事は、自分に隙があったからであり、その隙を教えてもらうことでもあります。

 

例えば、相手の攻めに負けて下がってしまったことや、手元が上がってしまったことが理由として出てきたのであれば、それを素直に受け入れることが必要になります。

 

もし、自分が打たれたことに何らかの言い訳を付けて認めずにいては、残念ながら上達は見込めません。

 

自分が打たれたことを認めないという事は、自分の悪い箇所を認めないことに直結します。

 

そうなれば、自分の悪い癖を修正することができなくなってしまうのです。

 

打たれることは悔しいですが、それでも自分の弱点を受け入れ、自分の成長に繋げられるよう努力しなければならないのです。

 

むしろ、自分の隙を教えてくれたのですから、感謝するべきなのです。

 

 

■剣道に防御はない

よく、相手に打たれたくないからと言って、三か所よけのような構えをすることがあります。

 

三か所よけと言うのは、相手の中心をとることは完全無視で、自分の面・小手・右胴を竹刀で隠すような構えを指します。

 

相手の中心をとっていないということは、相手を攻めていないという事であり、もはや自分から打つ意志を捨てていると言っても良いでしょう。

 

剣道と言うのは、相手と中心を取り合う中で、相手の攻めに勝つ強い心を養うことがひとつの目的であり、相手に打たれないことが目的ではありません。

 

相手に打たれたくないのであれば、相手を攻め崩して打たせないようにするのが剣道です。

 

攻め崩そうとしても失敗して打たれてしまうのであれば、それは何かが間違っているという事を学ばなければいけません。

 

ということは、やはり「打たれて感謝」に尽きるのです。

 

■まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

今回は「打って反省打たれて感謝」と言う言葉の意味についてお話ししました。

 

自分が有効打突を決めて、ただ喜んでいては上達に繋がりません。

 

逆に、相手に打たれても言い訳をして認めないでいれば、それもまた上達には繋がりません。

 

自分が有効打突を決めることが出来た時には、なぜそれができたのかを考え、次にも活かせるようにしなければなりません。

 

相手に打たれてしまった時には、自分の何が悪かったから打たれてしまったのかを考え、その悪い部分を修正するように努力しなければなりません。

 

また、自分の悪い箇所を教えてくれた相手に感謝するという気持ちを持つことは、自分の精神だけでなく稽古の質を上げることにも繋がります。

 

「打って反省、打たれて感謝」という言葉を胸に刻み、稽古に励んでいくことで、より上達できるように頑張っていきましょう。