へりくつ剣道参考書

剣道家ブロガーのつぶやきです。大人から剣道を始めた自分だからこそ伝えられる内容を書いています。剣道に関するあれこれを、自分なりの解釈を交えながら綴ってまいります。

剣道における「打突の冴え」の必要性について考える

みなさんこんにちは。

akikotapapaです。

 

剣道の昇段審査では、学科試験があります。

 

その中に、有効打突の条件を述べよという問題があったのですが、その条件として下記のものが書いてありました。

 ・充実した気勢

 ・適正な姿勢

 ・竹刀の打突部で打突部位を打突

 ・正しい刃筋

 ・残心

 

これを見た時、私は違和感を覚えました。

 

どのような違和感かと言うと、稽古の中で「打突に冴えがないと一本にならない」という主旨の指導を受けたことがありますが、有効打突の条件の中に打突の冴えというものが無いことです。

 

そこで今回は、有効打突に対する打突の冴えの必要性について考えてみようと思います。

 

 

■剣道における打突の意味

まず、剣道における打突の意味について、剣道の元となっている剣術から考えてみます。

 

前提として、時代劇でよく見る、1対複数の剣術ではなく、剣道に近い1対1の斬り合いを想定します。

 

剣術というのは、まず初太刀で相手を斬りつけ、相手が怯んだり、体勢が崩れたところに斬りおろしの刀法で致命傷を負わせて相手を戦闘不能にします。

 

この斬りつけと言うものは、相手を崩すためのジャブのような役目を果たし、これに対しりおろしと言うものは、大きく振りかぶって一刀両断にし、相手を戦闘不能にするような刀法を指します。

 

最初の斬りつけが成功すれば、あとは相手の心や体勢が崩れている間に斬りおろすだけで相手を仕留めることが出来ます。

 

言い換えれば、斬りつけさえ成功すれば勝ちが見えるという事になります。

 

剣道では、この斬りつけの刀法を稽古することで精神鍛錬をしようというものであり、斬りつけの刀法こそが剣道における打突にあたるのです。

 

 

■斬りつけるためには己の弱さに勝たねばならない

お互いに気が充実している状態からの斬りつけと、相手が体勢を崩している間に行う斬りおろし、どちらが難しいでしょうか。

 

これは、お互いに気が充実している状態から斬りつける方が断然難しいでしょう。

 

自分だけでなく相手も気が充実している訳ですから、下手をすれば返されるでしょうし、両者相討ちの可能性もあるわけです。

 

相手を斬りつけるためには、自分が斬られるかもしれないという恐怖心を乗り越えなければなりません。

 

言い換えれば、剣道の目的は、自分が打たれるかもしれない恐怖心という己の弱さに打ち勝てるような心を作る修行をすることなのです。

 

 

■斬りつけが成功する=勝ちとなる

初太刀の斬りつけで相手の心や体勢を崩すことができれば、あとは一刀両断に斬りおろせば相手を仕留められます。

 

先ほどもお話ししましたが、剣術は相手を戦闘不能にして仕留めることが目的ですが、剣道は自分の弱さに打ち勝つことが目的となります。

 

剣道では、己の弱さに打ち勝って斬りつけ、その斬りつけによって勝ちが見える状態まで持って行くことができれば良いので、わざわざ相手を仕留める必要はないのです。

 

ということは、斬りつけが成功した時点で勝ちということになります。

 

剣道的に言い換えれば、相手を仕留めなくても、斬りつけが成功した時点で有効打突として認められるのです。

 

 

■冴えの必要性

ここまで斬りつけの刀法と剣道の有効打突についてお話ししましたが、有効打突に冴えは必要なのでしょうか。

 

そもそも打突時の冴えというものは、打突時の筋力の緩急によって生まれます。

 

打突前は力を抜き、打突の瞬間にのみ力を入ます。

 

この打突前・打突時の力の緩急差が大きく、かつ力の緩急変化にかかる時間が短いほど冴えが鋭くなります。

 

また、刀で物を斬るときには、上述したような冴えが無ければ、対象物を斬ることはできないそうです。

(残念ながら、自分で物を斬ったことがありません)

 

したがって、斬るためには冴えというものが必要になるのです。

 

剣術から考えれば、相手を斬るときに手の内の冴えが必要ということは、至極当然な話でしょう。

 

しかし、剣道は日本刀ではなく、竹刀を使用します。

 

これでも冴えが必要かと考えたとき、自分のなかでたどり着いたひとつの答えがありました。

 

それが「心の修行」です。

 

 

■冴えを出すためには心を鍛える

冴えを出すためには、前述したとおり打突前・打突時の力の緩急差を大きくする必要があります。

 

ということは、当たる寸前まではできるだけ力を抜いておく必要があるということです。

 

しかし、相手を打つ直前というのは、相手に打たれるかも知れないという恐怖心が出ます。

 

その恐怖心に負けてしまっては、打ち出せません。

 

または打ち出せたとしても、緊張状態のまま打っても余計な力が入っているでしょう。

 

そうなれば、打突前と打突の瞬間で力の緩急差が小さくなり、冴えが出ません。

 

ということは、冴えを出すためには当たる直前までの脱力が必要であり、脱力するためには恐怖心に負けたり緊張状態であってはいけないと言うことになります。

 

なので、相手に打たれるかもしれない恐怖心に負けない強い心を鍛えることで、打突直前の緊張状態を極力抑えることができ、打突にも冴えを出せるということに繋がるのではないでしょうか。

 

 

■まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

今回は、有効打突に対する打突の冴えの必要性について考えてみました。

 

剣道と言うものは、人間形成が理念ということもあり、心の修行をすることが重要視される武道です。

 

心が鍛えられていなければ、打突に冴えが生まれず、有効打突は実現できないというのが私がたどり着いた結論です。

 

剣道は、相手を仕留めたり、痛めつけることが目的ではありません。

 

自分の弱い心に打ち勝って技を出し、冴えのある一本で相手の心までも打てるような剣道ができるように修行を重ねたいと思います。

 

今回お話しした内容は、あくまで自分なりに考えた結論ですので、正しいかどうかはわかりません。

 

しかし、自分で納得できないことを実践するのも嫌なので、いつか自分が剣道を見失いそうになった時のために書き残す意味も込めて、記事にしておこうと思います。