みなさんこんにちは。
akikotapapaです。
もしかしたら私と同じような方もいらっしゃるかもしれませんが、時々、「剣道は人間形成の道」という意味について考えることがあります。
剣道の理念として「剣道は人間形成の道」とありますが、剣道を始めたばかりの頃は、正直意味不明でした。
剣道の厳しい稽古が、なんでその人の人間形成に影響を与えるのか?
きっと、挨拶ができるようになるとか、ごく一般的な礼儀を身につけることが出来るのは間違いありませんが、それだけでは武道以外でも同じことが言えるはずです。
そこで、今回は剣道の理念が人間形成の道と言える理由について考えたいと思います。
■礼に始まり礼に終わる
これはもっとも一般的な内容ですね。
稽古の始まりと終わりに相互に礼をしますが、それだけではなく 道場に入るときや退出するときにも、道場に向かって一礼します。
これは、一般的に稽古できる場所への感謝を表していると考えていますが、ここから言えるのは、敬意をはらうのは人間だけではないということです。
自分と同じく剣道をする相手がいて、剣道ができる場所があって、剣道に必要な道具があるからこそ剣道ができます。
したがって、礼に始まり礼に終わるということは、人間だけでなく何事にも感謝をして敬意をはらという気持ちにつなげる教えが込められています。
■剣道の技から考える
例えば、稽古のなかで面を打つ場合、気持ちが迷いながら打ち込むと、打ちが弱かったり応じられたりして完璧な一本になる打突とはなりません。
剣道では、正しい構えと気構えから、ここだと思ったら思い切って打ち切ることが大事になります。
これを例えば日常生活や仕事の場面で考えてみると、何か物事を遂行しよう(=面を打とう)とするとき、自分の考えをもって物事に臨む(=思い切って打ち切る)ということに繋げられます。
しかし、自分で考えて実行してみたものの失敗してしまったなんていうことはしょっちゅうです。
ここをまた剣道と関連付けて考えてみると、自分で考えて実行してみた(=思い切って打ち切った)ものの失敗してしまった(=応じられて返された)ということになります。
これは、自分で考えて行動した(=打ち切った)が、まだそこには至らない点があったことを知らされた(=応じられた)ということになり、剣道ではこれを「打たれて感謝」と言います。
自分の至らないところを真摯に受け止め、以降の自分の成長につなげていく、修行を重ねるという考え方も、剣道から学ぶことが出来るのではないでしょうか。
また、フェイント技を使わないで、真っ向から面を打つということも剣道では重要視されますが、これは表面上だけで取り繕うようなことはせず、何事も正々堂々と実行するという意味もあると私は考えています。
■他人への気遣いと身のこなし方
技だけでなく、ちょっとした身のこなしや所作も意味を持っています。
例えば、座って木刀を置くときは、刃を自分に向けて置きます。
これは自分なりの解釈になりますが、相手に刃(危険な部分)を向けないということは、相手のことを気遣うということに繋がると思います。
例えば簡単な例で言うと、はさみを他人に渡すとき、刃側をもって渡しますよね。
これも、ちょっとしたことかもしれませんが、相手への気遣いと言えます。
また、稽古をした後に面をとるときは、面で顔を隠して汗を拭くようにし、小手を置くときは、小手筒を下座もしくは自分に向けて置きます。
これは、相手に汚い部分を見せないという気遣いが込められています。
■精神を養う
剣道といえば、心身ともに鍛え上げるような厳しい稽古を思い浮かべます。
厳しくつらい稽古を乗り越え、何事にもくじけない強い精神力を鍛えることは言うまでもありません。
しかし、上述したような礼儀や相手への気遣いなど、相手を敬うという精神性を実践して学べるというのは、非常に大きな意味を持つと思います。
したがって、子供でも大人でも剣道を習うということは、その人ひとりの人生にとって、人間形成という観点で大いに意味があるものになると考えられます。
■まとめ
いかがでしたでしょうか。
剣道を学ぶ上で、厳しい稽古で強い精神力を鍛えることもそうですが、様々な所作から他人を気遣う精神性を学ぶことができ、自然と身につけられるということが言えます。
こうした観点でみてみると、剣道の理念が人間形成であるということが理解できるのではないでしょうか。
今回ご紹介した剣道の所作はほんの一部に過ぎません。
これ以外の所作にも、いろいろな意味があると思いますので、その意味も考えながら剣道を学んでいくと、さらに面白く感じられるかと思います。
竹刀で技を競い合うだけではない、もうひとつの剣道の楽しみ方も伝われば幸いです。
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